【高雄:鳳山國中】日本無線基地や海軍訓練施設として使われていた国定古跡「原日本海軍鳳山無線電信所」

台湾を知る

台湾の歴史を学ぶのが大好きなブロガーRie(@rieasianlife)です。

今回ご紹介する施設は、日本人ともかなり関わりがあり施設。

ちょっと入るのに勇気のいる施設なんですが、歴史を知るのにとても勉強になる施設でした。

 

どんなところ?

 

ここは海軍の落ちこぼれを管理し、軍事訓練をする場所として使われていた施設で、かつ、日本時代に日本海軍「鳳山無線電信所(無線基地)」として使用されていた施設です。

 

以下、パンフレットに記載されていた内容をかいつまんでご紹介します。

 

鳳山無線基地は、当時、日本を代表する三大無線基地(東京の船橋、南部の鳳山、九州の針尾)の一つだったようです。

大正6(1917)年に建設が始まり、大正8(1919)年に完成。

日本南端に対外通信連絡経路を提供し、当時最先端の無線技術を使った施設だったそうです。

 

 

第二次世界大戦後、日本が去った後、無線基地としてだけでなく、情報部隊の駐屯地として偵察および政治犯や思想犯を拘束する場所としても使用されていたそう。

その目的を隠すため「鳳山招待所」と名付けられたそうです。

 

民国51(1962)年に海軍訓練センターが成立し、民国65(1976)年7月に「海軍明德訓練班」が設立し、この施設は、海軍の落ちこぼれ「愚劣分子」を訓練する施設になったそうです。

その後、2001年に解隊されました。

 

解体後、国軍の組織編成などにより様々な身分を変え、使われず廃墟と化していました。

2006年から旧高雄県政府が代理管理していたところ、3月から高雄県眷村文化発展協会が維持管理を引継ぎ、民国96(2007)年9月に県定古跡として公告。

その後、民国99(2010)年8月に国定古跡として指定。

民国100(2011)年2月に文化公園としてオープン、観光施設として開放されています。

 

どこにあるの?

 

最寄り駅は、地下鉄オレンジライン「鳳山國中」。

1番出口から出て、道を渡りだいたい10分ほど歩いて北上します。

駅の出入口が迷彩柄と軍隊っぽい駅でした。

 

 

「成功路」をひたすら北上した突き当たりにあります。

なんとも軍隊にふさわしい道の名前です。

 

 

外観

 

入り口は、旗がたなびいており、軍事施設なので、怒られないか・・・入っていいのか・・・かなり心配になります(笑)

看板は以前の施設名「海軍明德訓練班」のままです。

 

 

入り口の看板にはしっかりと「照常開放,歡迎自由參觀(時間内開放しております、自由に見学を歓迎します)」と書いてあります。

入ってもいいようです(ホッ)

 

 

恐る恐る中へ

 

中に入ると右手に小さな小さなサービスセンター「服務台」がありました。

サービスセンターと言っても、ほったて小屋の管理室みたいなかなり小規模なものです。

 

 

話しかけてみると、地図と解説パンフをいただけました。

中国語のパンフですが、日本語の記載もありますよ!

 

施設内をウロウロしてみました

 

簡単な地図は、解説パンフ以外にもいろんなところにありますよ。

(ただ、ちょっとわかりにくいです汗)

 

入り口

 

入り口には「永遠忠誠」と軍事的な4文字熟語と台湾の旗が。

このおかげで本当に入るのが怖かった汗

 

 

裏にも何やら文章が・・・。

ちょうどこの日、元軍人さんの集会みたいなものが開催されていて、施設内のあちこちに旗がたなびいていました。

 

 

辦公廳舍及教室(事務所と教室)

 

ここは事務所と教育を行なっていた教室棟。

木造建築で、煉瓦の壁と真っ直ぐに伸びた室外の廊下は綺麗に掃除が行き届いていました。

 

 

中は怖くて入れなかったんですが「教室」の赤い看板がありました。

招待所時代は客室、調査室(審訊室)、監禁犯の「普通号」「特待号」の部屋に分かれていたそうです。

 

 

教室棟の裏には「明德精神」と書かれた、教訓のような文章。

ここは無線基地時代ではなく、訓練施設の時に設置されたんでしょうね。

 

 

教室棟のすぐ近くには「中心堂」と書かれたイベントホールのようなスペースもありました。

 

 

どの通路も真っ直ぐ伸びていて、日本人が作った施設っぽい。

気持ちがいい。

 

 

磚砌水塔(貯水槽)

 

縦長のこの赤煉瓦の建物は貯水槽。

格子状の針の上に貯水槽を支えており、上の方に水を貯めており、下の方から入っていく形になっているようです。

橋仔頭糖廠にも似たような貯水槽があるんですが、ここのは全て隠された筒状です。

 

庫房

 

教室棟と似たような建物ですが、地図上では、多分ここは倉庫。

 

 

白いこの施設は、宿舎ではないかと思います。

 

 

大碉堡(大要塞)

 

この施設の1番のメインと言っていいくらい大きな施設「大要塞」。

丸い敷地内の真ん中にドーンとあります。

 

 

中に入ると天井の高いこんな感じ。

招待所時代は来客が禁じられており、山洞と呼ばれていたそうす。

訓練生の第二、第三中隊の寝室としても利用されていたらしい。

 

 

「慶生」・・・?

 

 

表側の壁はこんな感じで、また雰囲気が違います。

 

 

矢印っぽいマークや、何かが書かれていたと思われる跡が残っていました。

 

 

表側の右側壁にも訓練熟語のような文字が・・・。

 

 

敷地内にはこんな防空壕のような小要塞もありました。

 

 

壁沿いにはたくさんのイラストが書かれています。

消えているものもいくつかあったので、それは当時のものかもですが、そのテーマは様々で、何かのイベントの後なのか、当時のものなのかよくわかりませんでした。

 

 

事務所?みたいな建物もありました。

これはパンフに解説が載ってなかったので、不明。

 

 

軍の基地っぽい文字やマークが書かれた壁。

 

 

海軍電台(海軍ラジオ放送局)

 

要塞エリアとは別のエリアにあるのは、海軍ラジオ放送局跡。

大きくて全体が写真に収まりきれなかったんですが、施設は十字形になっています。

 

 

扉が開いていたんですが、怖くて入れませんでした笑

 

二棟軍官宿舍

 

大要塞の裏側に宿舎建築群があります。

 

 

その中で、ちょっとゾッとした建物が一つありました・・・。

 

 

解説の看板を見ていたんですが、この施設は、日本時代の用途は解明されていないのですが、招待所時代は「監禁」をしていた場所らしいです。

悪いことをした生徒をここで反省させていたらしいです。

 

 

ここは病院かな?

 

 

この先は、日本時代の独房らしい・・・。怖い・・・。

まだまだ整理されていない場所があり、裏側は所々立ち入り禁止になっていました。

 

 

中心點(管理センター)

 

ここは見学はしないんですが、管理会社の方がいらっしゃる施設。

あと、トイレもここにありました。

 

 

施設内は静かで、この日は天気も良くて、ポカポカ陽気。

あと、飼われている犬?がたくさんいたので、苦手な方は気をつけてください。

 

原日本海軍鳳山無線電信所へのアクセスと詳細

原日本海軍鳳山無線電信所
情報 日治時期、大正6年(1917)、國定古跡
管理 國防部政治作戰局(高雄市政府文化局代管)
時間 9:00〜17:00(月曜休み)
電話 07-2225136
住所 高雄市鳳山區勝利路10巷

 

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